かつお節は、カツオを原料とした日本特有の水産加工品でありますが、その起源については種々の説があって明らかではありません。
カツオは春から秋にかけて黒潮に乗って日本近海を北上する回遊魚であり、関東・奥羽地方で発見される貝塚の中にカツオの骨が数多く見られることから、古くから生食されていたことがうかがえます。一方「大宝律令(701年)」や、「延喜式(905年)」のなかには貢進物として"堅魚"、"煮堅魚"、"堅魚煎火"の名があり、素干しあるいは煮熟加工した保存食として利用されていたことがうかがえます。
鎌倉、室町時代になると、カツオは武士の間でも賞味されるようになり、戦国時代になると、「勝男武士」と書いて「かつおぶし」と読めることから縁起物として重用され、また兵食にも用いられたということです。
江戸時代に入ってかつお漁業が太平洋沿岸で盛んになり、江戸中期から後期にかけて本格的なかつお節製造の段階に入りました。
薩摩では1518年七島臥蛇で献上物として用いられていますが、現在のような燻乾品であったかどうかはわかりません。
今のような製法は、1674年(延宝2年)紀州熊野浦の漁師甚太郎がばい乾法で製造したのが起源とされており、その技法が1707年(宝永4年)に森弥兵衛により伝えられ、この頃から枕崎・坊津で煮熟ばい乾を基礎とするかつお節製造が始まったと言われています。
しかし、一説には薩摩節の始まりはこの紀州からの伝来製法ではなく、それより古い1504年(永世年間)頃にはすでにかつお節と名のつく製品が七島で作られ、この製法が内地に伝わったもので、紀州熊野浦の甚太郎は第二の創始者ではないかともいわれています。
参考資料:
昭和34年10月枕崎かつお節製造業産地診断報告書(鹿児島県商工課),枕崎市史
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